阿部サンに聞く①

祖父は勤勉で、そして三味線やお琴が好きな人でした。その影響でか、父はマンドリンを弾き、祖父は勤勉で、そして三味線やお琴が好きな人でした。その影響でか、父はマンドリンを弾き、叔父たちはそれぞれ歌を歌っていたり、ジャズ・ピアノを弾いていたり、、、という感じで、ウチは割りと音楽に恵まれた環境でした。

もともとウチは東京の押上あたりにありましたが、東京大空襲で焼けてしまい、川崎に引っ越し、そこで私が生まれました。

子供の頃、よく音楽を聴きました。

その頃聴いた音楽ですか?

父がその頃、出始めの「オープンリールデッキ」を持っていて、ラジオで流れていた音楽を録音して聴いたりしていました。ポピュラー・オーケストラものなどよく聴きました。(小学生の頃。)

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Robert Maxwell and His Orchestra
※小学校高学年(?)頃に豊田駅前のレコード屋で何枚か視聴した中で気に入って買ったEP盤。


当時はバンドの名前までは分からなかったけれど、大人になってから、懐かしくて調べて、LPを買って集めたりしました。当時よく分からずに、でも気に入って聴いていた「Martin Denny」や「Arthur Lyman」などのエキゾチック・サウンドや、「Three suns」は後からLPを結構集めましたね。

その後、ベンチャーズや、ビートルズのブームが来て、やはりそういうものもよく聴きました。ジミーヘンドリクスも好きでしたね。

中学一年の時に銀座の十字屋で父に買ってもらったフォークギター(フラットトップ:savoy)が私が初めて所有したギター。

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初めて手にしたギターと。(こんな写真しか見当たりませんでした。)

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※モズライトのコピーモデルのギター。私が所有したギターの三台目くらいだったと記憶しています。「メンフィスアンダーグラウンド」を弾いてるような、、、(笑)中三くらいかな。

当時は、お酒を飲むような店には大抵生バンドが入っていて、私の小学生の時の同級生のお父さんも、そういうバンドでバンマスやっていて、家にはたくさんジャズのLPが有り、よく彼の家に行ってジャズのレコードを聴いたもんです。彼は父親が音大に行かせようとしていたので、小さな頃からソルフェージュやピアノなんかをきちんと習っていて、私も一緒に1~2年くらいそういうことを習ったこともあった。彼はそのまま音大(作曲科)に行きましたが、私は行けませんでした、、、、ハハ。

初めて仕事したのも、彼のお父さんの紹介で。

新宿のキャバレー、、、、あ、そうそう、「アダムとイブ」って店に、何故か「ベースがいないから」とエレキベースで頼まれたのが最初の仕事だと思います。中学校三年、15歳の時かな。

その時の編成が面白くて、オルガン、トランペット、ベースという編成、、、、(笑)。

その当時は生演奏が当たり前だった時代。一つの店に必ず「メイン」と「チェンジ」(注1)という二つくらいの生バンドが入っていました。

ですから、初めて行った「アダムとイブ」がきっかけで、他の店にも演奏の仕事をしに行くようになりました。その後は主にギターで(笑)。

高校に通いながら仕事もしました。
よく居眠りしたな。出席日数もギリギリだったようですが、仕事をしながら学校も卒業出来ました。

演奏の内容としては、お客さんが入る前は、バンドの好きな曲をやってもよくて、ブルースなんかを小節を数えられないくらいやったような記憶があります、、、ハハ。
お客さんが入ると、ショーの伴奏、ダンスが出来るナンバーや流行歌、和製ラテン的なのとか、とにかくありとあらゆる音楽を演奏しました。

ギャラですか?結構良かったような気がする。一ヶ月ハコに入って8万~10万くらいもらっていたかな?バンマスになるともっと貰いましたよ。(注2)

注1:「メインバンド」と「チェンジバンド」・・・・店内に音楽を流し続けるために二つのバンドが入っており、「メイン」はショーの伴奏を主に担当。「チェンジ」はショー以外での音楽を担当。バンド交代の際は「チェンジ・ワルツ」と言って、様々なワルツの曲を演奏していた。
注2:1970年当時の大卒初任給がだいたい4万円ちょっと
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